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Japan Canference of Nation

満州事変は日本の侵略ではないH30/08/15

満州事変は日本の侵略ではない

@  侵略と云うならばどこの国への侵略か、中国は我が国への侵略だと言っているが満州は中国領になった事は一度も無い、満州は満州族の父祖の土地であって、その満州族が中国全土を征服して作ったのが、清朝、清朝は当初中国人の満州移住を禁止していた【封禁の地】

そもそも中国人の認識で云えば中国領は函谷関の内側であって、その外は化外の地として中国領とは思っていなかった。

A  関東軍の満州侵入は、張作霧・張学良の圧政に苦しんだ地域人が関東軍に対し満州進出を強く要望したのである。その証に事変が始まるや否や各地は続々と独立を宣言した、9月24日 遼寧省、26日 吉林省・熱河省・東辺省・桃南省。

B  1932年2月18日、東北行政委員会設立

C  遠因はワシントン体制、この条約は締結と同時に自己崩壊していた。

結果、反日テロが激化して死者も500人超えていた。

D  ゲリラの武器を押収した所、ほとんどがソ連製一部ヨーロッパ製であった。

日本軍はソ連に対する警戒心が強列にあった。

E  万宝山事件など朝鮮系日本人が迫害を受けていた、関東軍には日系朝鮮人といえども守る義務があった。

F  明治近代化以降、日本の軍事経済活動に必要な資源と技術はその80%をアメリカを初めとする西欧諸国に依存していた、アメリカに生殺与奪の権を握られていた日本は眞の独立国とは言えなかった。

G  満州事変の2年前、ニューヨーク株式の暴落があった。世界恐慌となり、欧米経済は地域ブロック化の流れとなった貿易立国の日本としては国家の産業である頼みの綱は満州だけであった

H  国家存立の重要拠点を防衛するのは独立国の権利である、これはパリ不戦条約でも認められている。

I  日本は独立維持の為自ら道を切り開いたのが満州事変、日本としては我慢の限界でもあった。

上海の英字紙ファーイースタン、レビューのジョージ・ブロンソンレーは当時戦争で獲得したものは、その国の領土というのが常識であったが、日本は自国領にせず満州国という五族共和の理想国家を創った、これを誰が批判出来ようか

ヘレン・ミアーズは満州の権益など欧米諸国にとっては、食後のコーヒーの程度の  価値しかなかった、但し日本にとっては正に肉でありバターであった。

保坂正康・加藤陽子・田原総一郎は、関東軍が自ら線路を爆破して自作自演の謀略で起こした事変であるから、明らかに日本の侵略で言い訳がきかないという。

しかし戦争はそんな一面的な理由だけで始まるものでは無い、ワシントン体制の崩壊以来対日ゲリラの日本人襲撃が激発して死者も500人を超えていた、その十数年の累積因の結果が満州事変であって、満州事変は原因ではなく結果である。上記3人はこの時期すでにアメリカによる対日戦は、すでに始動しており大量の武器を持った中国人ゲリラが日本人及び日本企業に対し攻撃を続けていた。もし上記3人が10数年に渡って日本側に犠牲者が出た事実に目をつぶるならば、おそらく彼らは日本人ではなかろう。戦争には双方に言い分があるという、最も基本的な道理を彼らは理解していない。

 

平成30年8月15日

文責 江藤 富士位


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